哲学詩 - 映像ライブラリ [menu - Philosophical poems]

===参照: 生井利幸先生著、「哲学詩 形と本質」、「はじめに」より====================================

この現代社会では、巷のどこに行っても、実に、「物」が溢れています。お金さえあれば贅沢な生活を送ることができるこの社会に生きていると、「豊かな生活」とは即、「贅沢な生活」であると捉えがちになります。
 読者の皆さん、ここで考えてみましょう。豊かな生活とは、本当に、お金をかけて贅沢な生活を謳歌することなのでしょうか。
 この社会は、いわゆる「物質至上主義社会」です。現代社会では、世の中の至る所に物が溢れ、人々は、知らず知らずのうちに、「物に支配される毎日」を送っています。では、この、“物”とは、そのすべてが本当に必要なのでしょうか。言うまでもなく、良く考えてみると、その中には“不必要なもの”もあるでしょう。
 そもそも、「物」(道具)は、「人間が使う」ためにあり、決して「人間が支配される」ためにあるわけではありません。人間が、物に心を奪われ、物に支配されてしまうと、やがて、人間が「人間である『意味』」がなくなり、「人間としての『生きる意味』」を見失ってしまいます。
 物は、言うなれば、「形」(form)の一形態です。物について、これを「形」として捉える以上、その形には、何ら、「本質」(essence)はありません。
 本書は、“表面的な”形に支配されることなく、「しっかりと物事に内在する本質を見極め、意味のある生き方をしたい」と切望する読者の皆さんに捧げるために出版した詩集です。無論、世の中には様々な人生観・価値観を持った人々がいます。しかし、その中には、表面的な情報に惑わされることなく、しっかりと本質的基軸を見据えながら自分の人生を営んでいきたいと考える人もいます。
 「人生はすこぶる短く、まさに、あっという間に終わってしまう。それ故、『形』に支配されることなく、『本質』をしっかりと捉え、迎える日々における一秒一秒を本質的な時空間にしたい」、・・・このように考える読者の皆さんは、たっぷりと時間をかけて本書の哲学詩を精読し、哲学詩が導く本質的メッセージを咀嚼する経験を積み重ね、「より価値ある一秒一秒」を刻んでください。
 本質的なメッセージが内在する詩と向き合うときは、一事が万事において、「先を急がず、ゆっくりと精読する」という向き合い方が必要不可欠です。それ故、皆さんが本書の詩を読むときは、是非、静かな場所に自分の身をおき、詩の一語一語を「心の奥底」で受け止め、ゆっくりと、その一語一語を深く感じながら読んでください。
 わたくし生井利幸の哲学詩は、ゆっくりと詩の一語一語と向き合い、それを咀嚼すると、その都度、深遠なる「余韻」「余情」を経験することができる「“哲学的”芸術作品」です。これを別の表現で言うならば、わたくしの哲学詩は、「哲学するための詩」であると同時に、「芸術・美学の一形態として経験できる詩」でもあります。
 読者の皆さんには、心の中で、ゆっくりと本書の詩の一語一語を噛み締め、詩が醸し出す「美しく、且つ、深遠なる余韻・余情」を満喫してください。皆さんが、日々、じっくりと本書の哲学詩を精読し、自分の命でしっかりと哲学し、地球に存する「一個の『個』」として、さらに自分自身を磨き抜いていくことを期待します。

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